明治45(1912)年、東京市からポトマック河畔に桜の苗木がおくられてから来年は100年になります。
たくさんの桜がアメリカに贈られた裏側に、世界的化学者、実業家でもある高峰譲吉やアメリカ人紀行作家エリザ・シドモアの尽力がありました。
1856年米国ウィスコンシン州に生まれたエリザ・シドモアは、1884年初来日、通信記者としてアラスカや、日本,中国、ヨーロッパで数年を過ごし、武士道に基づく文化と、桜を愛でる日本人の精神に深く魅せられました。
中でも日本滞在中に観た向島の桜はシドモアの心を掴み、ワシントン・ポトマック河畔の埋立地に桜を植樹するための活動をするまでになりました。
対して高峰譲吉は1854年に富山県生まれ。1880年英国へ留学、1884年に万国工業博覧会に参加するために行ったアメリカ・ニューオリンズで出会ったキャロライン・ヒッチと婚約、結婚。1890年に渡米し、以後アメリカを拠点とすることになります。
消化薬として有名なタカジアスターゼの抽出、止血剤アドレナリンの結晶化などに成功した彼は、医学の発展に大きく貢献しただけでなく実業家としても名声を轟かせ、日露戦争終結にも尽力しました。
一度は失敗に終わった桜の植樹計画でしたが、二人やアメリカ、日本両政府の弛まぬ努力によって、ついに東京市からポトマック河畔に桜の苗木3000本がおくられました。
日本から遠く離れたアメリカに咲く見事な桜は、今も人々を魅了しています。
平成3年(1991)にはワシントンから里帰りした桜の苗木5本が、横浜外国人墓地にあるシドモア墓の傍らに植えられました。
その桜たちは「シドモア桜」と呼ばれ、現在も多くの人に親しまれています。
そしてふたたび訪れた「桜の里帰り」。
シドモアが魅了され、譲吉が愛した「SAKURA」を楽しむ会が発足しました。